じゃあ田島家には家族とトミさんの他にどういう人(たち)がいたのか。「材木問屋」には「取引先の商人」や「遠方からやってきた職人」がいたということでしたが、さすがにその線はない。でも私がいろいろ気になった箇所を総合すると、職業はわかりませんが、おそらく「女性」だったんじゃないかという気がします。私が「いろいろ気になった箇所」の1つ目は、父とトミさんの関係の説明。
トミさんと税理士の関係がどの程度のもので、いつまで続いていたのか、私は全く知らない。あの日以後、二人のそうした関係を暗示させる出来事に遭遇したことがなかったからだ。そのかわりに、私は彼女と別の男との関係を知ってしまうこととなった。別の男とは、いうまでもなく私の父である。(p12)
最後の、「いうまでもなく私の父」という部分。なんで「いうまでもなく」なんだろうと不思議でしたが、これはおそらく、田島家では唯一の成人男性だから、ということだったんじゃないだろうか。通いの家政婦であるトミさんは自宅と職場である田島家との往復の生活であり、性的対象としては田島家の顧問税理士か、和幸の父しか周りにいなかったということなんじゃないかと。だから田島家が宿泊業もしていたのなら、そこに滞在している人(たち)は女性だったのでは、と思うのです。
また、祖母の葬式後、近所では田島家の嫁が姑を毒殺したのではという噂が立ち、そのために警察がやってきたシーンにも、こんな記述があります。
家に警察の人間が来たのは、それから間もなくのことだった。学校から帰ると玄関に見たことのない靴が二足置いてあった。(p36)
これ、非常に普通の文章なんですが、もし田島家に家族以外の第三者が滞在しているのが日常的な光景だったとすると、逆におかしな文章になります。それだと「玄関に見たことのない靴」があるのが普通で、別に気に留めないはずだからです。だからこのとき和幸が「玄関に見たことのない靴」があると認識したのは、それが普段なら見かけない男物の靴だったからじゃないかと思うんですよ。男性の靴と女性の靴、現代ならスニーカーなどはサイズの大小だけでデザインが同じモデルもありますが、昭和時代は明らかに違いましたし、革靴やヒールなら現代でも違います。
でも田島家にいたのが女性の宿泊客だったと考えると、ちょっと気になることがあります。現代なら女性だって、職種によっては長期出張や転勤もあるでしょうが、昭和時代、女性が旅館に長期逗留することって、まずなかったはず。働いている女性はいましたが、男性と肩を並べて、という仕事はあまりなかったと思います。おそらく一部の公務員か、学校の先生くらいじゃない?そう考えると、田島家は宿泊業というより、下宿屋をしていたと考えるほうが妥当かもしれない。田島家に下宿していたのが女性(ばかり)だったと考えると、地方から上京してきてどこかの会社や工場で働いていた職員か、あるいは大学生くらいじゃないだろうか。
具体的な記述としてはないんですが、物語の舞台がおそらく都内かその近郊だろう、時代的には1950年代後半~60年代くらいだろうと仮定してAIに聞いたところ、その時代には女性の大学進学率は短大も含め3%弱くらいで、地方から上京してきた若い女性がアパート等で一人暮らしするというのは非常に稀だったそう。ほとんどの女性は学校や会社の女子寮に入るか、大家と同居していたそうです。そう考えると下宿人は1人ではなく複数いたはずで、だからこそ広いお屋敷にもかかわらず、田島家には和幸の部屋がなかったんじゃないかと思うのです。
それ以外にも気になるのが、「客」と「患者」。作中には田島歯科医院に来る人たちのことを、「客」と言うときと「患者」と言うときがあります。
父も母も苛立って見えた。診療所に来る客は、めっきり減ったようだ。その理由は噂と無関係ではなかっただろう。(p36)
例の噂以来、診療所を訪れる患者は減ったきりだった。(p63)
なんでなんだろう、間違えたのかな、と思ってたんですが、「客」のときはおそらく下宿人のことを指していたんじゃないかと思います。下宿人が急に歯痛になって隣の歯医者に駆け込むという状況はそうそうないかもしれませんが、若い女性ということであれば、ちゃんと検診とか受けそうですし。あるいは田島家が、定期的に歯科検診が受けられますよ、というのを売り文句に、下宿人を募っていたのかもしれない。「患者」のほうは、普通に田島歯科医院をかかりつけにしていた地元の人なんじゃないか。
田島家が下宿屋も営んでいたのだとしたら、どうして和幸の話にそういう説明が出てこないのかという疑問もありますが、下宿屋というのは旅館やホテルのような宿泊業とはちょっと違うと思うんです。お金を貰う以上は確かに仕事ではありますが、屋号がなくてもおかしくないし、もしかしたら「田島家」も「たじまけ」じゃなくて「たじまや」という屋号だったのかもしれない。家人の認識も「ビジネス」というドライなものではなく、家事の延長とか、生活のための副業、という感じだったと思います。現代で言うなら、対価ありのホームステイが近いんじゃないだろうか。AIにも聞いてみましたが、
家主たちは、単に部屋と食事を売るだけでなく、「地方の親から大切な子供を預かっている」という強い責任感(社会的な役割)を持っていました。これが現代の大家との最大の決定的な違いです。
ということでした。ただ、上記のような認識だったのはたぶん祖母だけだと思います。両親は平日日中は隣の診療所にいたし、休日はそれぞれ出かけていたようなので。家の中に常時他人が複数いるというのはなかなかストレスだったかもしれないですが、みんな最低でも18歳以上のはずで自分のことは自分でできただろうし、お金が入ってくるわけだし、黙認という感じだったんじゃないでしょうか。和幸としても、物心ついた頃からそういう家庭環境で育ってきたから普通のことであり、だから敢えて言及していないということだと思います。
女性限定の下宿屋だったのか、たまたま女性が集まってしまったのかわかりませんが、作中に「田島家は女系で、親戚も圧倒的に女が多い(p30)」という話が出てくるのは、たぶんこれを暗示しているのだと思います。そして和幸は親戚が来なくても普段から圧倒的に女性が多い環境で育ったということになり、そうなると今後の妄想にかなり影響してきそうな気がします。
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